11月22日の日記

2005年11月22日
今日の夜10時半に突然呼び出されて

向かった先は病院。

ばあちゃんが死んだ。
93歳だった。

一年間のうち半年は意識があった。お見舞いにも行った。
半年は意識は無かった。

だんだんとやつれてくばーちゃん。
見るに耐えなかった。


今から約一年前、バーちゃんが急に倒れた。
その時は笑うことも会話することもできた。
しかしそれは一方的なものだった。

話すことが出来なかったばーちゃん。
色々言いたいこともあっただろうに。

頭に障害が出来てしまったから書くことも出来なかった。
もどかしかっただろうに。

自分がお見舞いに行ったら泣いてて喜んでくれた。
その笑顔が妙に辛かったなあ。

そのばーちゃんが今日死んだ。

安らかに亡くなった。

思えばばーちゃんが倒れた日、自分は何をしていただろうか。

ばーちゃんが倒れる前日、即ち、ばーちゃんが話すことが出来なくなった前日は敬老の日だった。

その日、自分はせっかくの休みなのにとバーちゃんに会いに行くのを断った。翌朝にそんなことがあるとは思わずに。

思えば自分が生まれて約20年、ずっとお世話になりっぱなしだった。

何もしてあげれなかった。

ただ、自分の事を常に思ってくれていた。

敬老の日に会いに行かなかったのも無言でうなずいて理解してくれた。

そんな優しいばーちゃんに何もしてやれなかった。

93年間、ばーちゃんは頑張った。
子育て、仕事、戦争、そして病床。

俺と一緒に過ごせたのはその内のたった20年間。

何もしてやれなかった。

せめて、敬老の日に会いに行けばよかった。
その時自分がしてあげれることはそのぐらいだったのに。

一番簡単で一番喜ばれる事を自分は怠った。

そして、ばーちゃんに今日会ったとき、自分は謝った。

”ごめんよ、ばーちゃん”ってね。

その時に自然と涙が出てきた。

前が見えなかった。

病室を出て、俺は泣き崩れた。

誰も居ない夜の病院の階段で、自分は一人で悔しさと悲しさで泣いた。

今頃、ばーちゃんは泣いて帰りたがってた八百屋、つまり、ばーちゃんの自宅に戻ってるだろう。

もうちょっと早く帰してあげたかった。


苦しい病床から開放されたんだと思って自分を今正当化しているが、孫として義務を果たしていない自分は本当に情けないと思う。

ばーちゃんごめんよ。

かーちゃんととうちゃんも大切にするから、見守ってください。
家族をもっと大切にするから見守ってください。

ありがとう、ばーちゃん。





だから、お前ら、

御爺ちゃん御婆ちゃんを大切にしよう。



どんなに短くてもいいから会ってやれ。



孫に会える楽しみを与えてやってくれ。


ばーちゃん、ありがとう。

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